2009/06/01

グレイター西神とは ー 西神ニュータウンと三木

西神ニュータウンのある西区は、そもそもは播磨の国で、須磨から東の摂津とは摂播(せつばん)国境で隔てられていました。戦国時代は三木の別所氏の支配下にありましたが、別所氏が毛利側に付いために秀吉によって滅ぼされました。その後、政治の中心は明石藩に移りましたが、明治の廃藩置県によって明石郡となり、昭和22年に神戸市に合併しました。

しかし小選挙区制の導入から、どうしたわけか西区は、神戸でも明石でもない三木や小野と同じ選挙区になり、あたかも戦国時代の別所氏の時代に遡ったようになりました。

そのためではないでしょうが、現在も三木と西区の人の交流は盛んで、国勢調査によりますと、三木市から西区には約3千人の人が働きに来ていますが、一方、西区から三木市へも同じくらいの人が出向いています。西神ニュータウンの人口は約10万人で、三木市や小野市の人口を上回っていますので、この選挙区の中では最大の都市といえます。西神中央には百貨店やホテルがあって、大きな商業の集積地になっていますし、学園都市の大学には県下からたくさんの学生が集まっています。しかし、自治体と区の違いでしょうか、三木には小さいながら美術館があり、立派な音楽ホールが二つもあります。

そこで、行政区にとらわれない、文化の面で交流を広めてゆこうとするのがこの音楽祭の狙いです。発起人がたまたま西神ニュータウンでしたので、西神を名乗りました。"グレイター西神"という言葉は"グレイター・ロンドン"などのように、その都市と周辺を意味します。まだ耳慣れない言葉ですが、行政区をこえた商圏や文化圏を意味しています。

具体的には、下記地図で示したピンクで塗りつぶした地域になります。


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参考:西区の歴史 - 神戸市西区役所

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